COLUMN

N.023「自転車を乗りこなす技術」

#コラム

ハンドメイド自転車を知らない方々、多少は知っていてもどうしたら作れるのかをご存じない方々が本ウェブサイトをご覧になっている大多数と推察している。

現在でもわが国のNJS登録をしているビルダーの方は、競輪選手というプロフェッショナルのためにフレームを作ることを誇りにしている。自ら作った自転車で勝利した選手が何千万円、何億円も稼ぐとすれば、半端なフレーム作りはできないだろう。

かつてヨーロッパのプロロード選手も同じように、フレーム工房にオーダーメイドしていた。ヨーロッパでは、日本の競輪と異なりチームがスポンサーによって運営されている。さらに言えばレース自体もスポンサーがあって初めて成り立っている仕組みが我が国と異なる。選手の自転車もスポンサーからの提供物だった。だから選手が提供された自転車を乗りこなす技術はすごい。

1977年にプロに転向し、1994年まで活躍したアイルランドのショーン・ケリーという選手は、当時フランス製だった「VITUS」(ビチュー)というアルミ製のフレームで、「パリ〜ニース」というパリから南仏のニースまでをおおよそ7日間かけて走るステージレースに7回優勝している。ところがそのVITUSのフレームたるや、日本に入荷されたものは剛性が低く、ダンシングをするとリヤの変速機が勝手に変速してしまうシロモノだった。本当にケリーはこんなものでプロロードを走っているのだろうかと疑問がわいた。だがどうやら本当らしい。

選手のなかでもこだわりのあるなし、個性がある。自転車ロードレース史上もっとも偉大な選手であろう、ベルギーのエディ・メルクスは、腰痛を抱えておりフレームの寸法(ジオメトリ)には相当こだわったと聞いている。シーズン前に40台のフレームを作らせて試したという伝説がある。

メルクスは、ツール・ド・フランス5回、ジロ・デ・タリア(イタリア1周レース)3回、ブエルタ・ア・エスパーニャ(スペイン1周レース)1回に優勝し、世界選手権プロロードに3回、パリ〜ルーベを始めとするクラッシックレースに26回優勝した超人選手で〝輪聖〟と呼ばれる。プロデビューは1964年の東京オリンピックでロードレースに出場した翌年の1965年で引退は1978年だった。「EDDY MERCKX」のブランドは引退後に彼が興したものだ。

この異常なまでのメルクスのこだわりは話題になるほどだったが、実は、ハンドメイドバイシクルをオーダーすることで、レディメイドの自転車で抱えていた痛みや身体的なハンディキャップも克服できるという、いち例かもしれない。

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