山音製輪所 YAMAOTO BICYCLE/ Mont Son

[ヤマオトセイリンショ]

1.山音製輪所ができるまで

山音製輪所の尾坂允は物静かに語るが、実はとりわけスチール製オーダーメイド自転車にはこだわりと熱い情熱を燃やしている男だと思う。

1976年、情熱の男は岡山県で生まれ育った。中学生、高校生時代とも特にサイクリングに血道をあげた歴史はない。京都工芸繊維大学に進むと当初興味を抱いた建築ではなくてデザインに学びを求めた。大学時代のデザインの研究を通じ自分自身が手作業で何かを作り上げることが好きであることが分かってきた。木工の家具職人にだってなろうと考えた。

大学4年は進路の年だ。大学院へ進学するか、職人として働くかの進路は、イタリアのスチール管による自転車フレーム工房の記事をたまたま本屋で見つけた時に決まってしまった。自転車職人になること決意した。しかし、実はこのとき自転車の自の字もしらない全くの素人だ。木工職人から鉄工職人へと目標が変わっただけだ。

自転車ビルダーへの道は長く険しかったが、一つ一つ階段を確実に登って行った。まずは、京都市内の一般車販売店に勤務し、パンク修理をはじめとする一般車の修理全般を学ぶことができた。この学びは現在でも自転車の組付けの技術に生きている。24歳となった尾坂は、パンク修理をしてお客が喜ぶ様子が嬉しく、自分って意外と接客業が好きなのかもと自己発見し、将来は店を持ちたいと密かに思った。

一般車販売店で働きながらスポーツサイクルを得意とするサイクルグランボアへ出入りして自転車レースへの参加も積極的に行った。2000年初頭は、スチール管での自転車レース用フレームがぼちぼち終焉を迎えるころであった。レースへの参加は、名古屋で行われたフリマで譲ってもらった黄色いデローザ(もちろんスチール製)で行った。作りと黄色の色の良さにほれ込み、元オーナーを口説き落とし格安で入手した。この黄色いデローザは現在の厚木の工房の天井にひっそり吊るされている。尾坂のロードレーサーの原点だ。

イタリアの工房の銘品デローザが愛車となった。ビルダーを志望する男に、「やっぱりイタリアじゃあないか」とグランボアの親方、土屋が耳元でささやいた。情熱の男は、京都にある日伊会館でイタリア語を学び、2001年9月に一般車販売店さんを辞しイタリアへ旅立った。そして約1年の間、愛車のデローザはもとよりコルナゴ、カザーティ、トマジーニ、Cクアトロ、ウイリエールなど名だたる工房の扉を叩いてフレームビルディングの修行を頼み込んだが悉く断られた。なぜなら彼は自転車のフレームを拵える技術をまったく持っていなかったからだ。それでもイタリアでは語学学校に通いながら例の黄色いデローザで工房を巡り、時々サイクリングもした。イタリアという自転車の本場の空気を吸ってきたことは山音製輪所を立ち上げる際には大きな糧となったことは想像に難くない。

帰国すると土屋親方のグランボアで働き始めた。今でこそオーダーフレームを供給しているが当時のグランボアはフレームづくりはやっておらずレストアが中心。部品磨きや組付けなどの修行を済ませ、土屋親方の紹介でグランボアと取引のあった東叡社へ移る。尾坂、28歳、いよいよビルダーの修行開始だ。川口市の東叡社の近くに住み込みロー付け前のパーツ磨きからスタートし、エンドのロー付けやキャリアづくりなどを行っていた。フレームすべてのロー付けはやれなかったものの、7年間しっかりと伝統の東叡社のフレームづくりのやり方を目に焼き付けたのだ。

尾坂は、東叡社時代に結婚をしている。自らの手でスチール製フレームをつくるというビルダー人生の始まりは、自らの力と最愛の妻の理解と援助により大きく一歩が前進した。「スチール製自転車フレームを自ら作り上げてみたい」との強い想いを持ちながらもいまだかつてそれをやり遂げられていないため「もし作り上げて詰まらなかったらどうしよう」と迷いもあった。出入りの問屋からも「ビルダーだけはやめておけ」と忠告されていた。レースの世界ではスチール製のフレームは表舞台からとっくに消えていた。

2.山音製輪所の始まり

独り立ちをすることを心に決めていた尾坂は、妻と相談し遂に自然の感じられる厚木市郊外に自宅兼工房を持つ。2013年5月22日、遂に山音製輪所が立ち上がった。治具の類は東叡社を参考にして自作。定盤だけは梶原氏から購入。尾坂自らが製作した第1号のフレームは自らのためだった。

東叡社での修行は、一台一台を作るやり方にも、大量につくるやり方にも対応ができる。「山音製輪所」の名前は、自身が自然を愛する故に「山の音」と名付けた。山の音はフランス語でMONT SON、ブランド名モンソンが出来上がった。MONT SONのオーナーの中には、「乗っていると山の音が聞こえるよ」という人もいる。一人で自転車を自然の中で走らせると様々な風の音が聞こえてくるものだがそれが「山の音」だろうか。 尾坂は自転車がもう少し安価で手軽に楽しめる乗り物であってほしいと願う。日本製にも拘る。スチール製フレームに拘ってゆきたいと語る。なぜなら、シンプルで乗っていて楽しいからだ。とりもなおさず作り手として責任が持てると言う。将来的にはパートナーが見つかれば国産で量産、かつ安価なものが提供できると良いと思うと語る。

3.オーダーの仕方

基本は、来店。オーナーの自転車の使い方、どのような自転車に乗っているか、大まかな自転車の車種、仕様をきめ、オーナーが運動をしているかどうかも尋ねる。予算枠を決定し部品を決め、採寸し自作のジオメトリープログラムに入力しジオメトリーを決定する。現在は、受注から約1年で完成。塗装は、ミルキーウエイへ外注メールでのやり取りでの製作は行っているが、メールのみでの受注だと経験上うまくゆかないのでやらないようにしている。

オーダーに当たっては、例えば古い写真を持ち込んで「これと同じようにやってくれ」と言われることにはビルダーとしては抵抗感を持つ。オーナーである以上、他人とは違うものを持ちたいという意欲やオリジナリティを発揮してほしいと思う。そのためのアドバイスは積極的にしてゆくとのこと。 外国人対応も上記の理由により在日外国人で来店するお客さんのみの対応となる。 客層は30代から70代と幅広く、50歳代が最多。フレームのみの価格は300,000円から、パーツやキャリアのオーダーも受ける。

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